バンコクで和牛を極める兄弟の挑戦:グローバルな視野と情熱が織りなす軌跡を辿る
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飲食業への取り組み
鈴木基弘氏は、約20年間にわたり飲食業界に携わってきました。日本国内を拠点に、飲食店経営や店舗運営に従事し、経営面でのスキルを磨いてきました。一方、祥広氏は日本の料亭で修行を積んだ後、ニューヨークやフランスで料理人としてのキャリアをスタート。ミシュラン店で料理の腕を磨き続けてきました。
バンコクでの和牛ビジネスの挑戦
基弘氏が全体的な経営戦略と財務管理を担当し、祥広氏は料理のクオリティとメニュー開発に注力する形で、和牛ビジネスを展開。タイの商習慣や文化への適応に苦労しながらも、現地の需要に応えるべく、味の調整やスタッフ教育にも力を入れてきました。
現在のビジネス展開
鈴木ご兄弟は、バンコクにおいて和牛ビジネスの基盤を確立し、タイの富裕層や日本人駐在員、西洋顧客を中心に高品質な和牛を提供しています。常に顧客にとっての最善を考え、タイ独自の文化や価値観を理解し、リスペクトしながら経営を続ける姿勢が、彼らのビジネス成功の要因となっています。
バンコクで活躍するビジネスパーソンを特集する本企画。
今回は、バンコクで和牛ビジネスに挑戦する鈴木ご兄弟のインタビューです。長年の飲食業経験を活かし、グローバルな視座で高品質な和牛を提供。情熱あふれるビジネスの軌跡を伺います。
◆バンコクで和牛ビジネスを始められたきっかけを教えてください。
基弘氏:もともと兄弟で「いつか一緒に店をやれたら面白いよね」とは話していました。私は20年くらい飲食業に携わってきましたし、弟も日本とニューヨーク、フランスで料理人をしていたので、お互いの経験を活かして何かやりたいなって。
和牛は日本の食文化の象徴ともいえる存在ですし、その品質の高さや味わいの深さにはずっと魅力を感じていました。和牛はただの食材ではなく、育てる過程から提供されるまでのすべてにこだわりが詰まっていて、それが人々を魅了する。そういうところに魅力を感じて、和牛ビジネスに本気で取り組むようになりましたね。
最初はアメリカで和牛ビジネスを展開しようと考えていました。私がアメリカの大学に通っていたこともありますし、アメリカ人とのコネクションもあったからです。
和牛が欧米でビジネスになるのか、いても立ってもいられなくなって、ある時ニューヨークとフランスに冷凍した和牛を持って行ったんですよ。牧場から仕入れたステーキサイズの和牛を40個くらい購入して、それをフローズンにしてスーツケースに詰め込んでね。ニューヨークやフランスの精肉店に飛び込みで営業して「これ、食べてみてください」ってお願いしました。現地の精肉店の人たちが実際に食べてくれて、「これは本当に美味しい!」ってすごく良い反応をもらえたんです。その時に、これはビジネスとして本当にいけるなと確信しました。
でも、アメリカやヨーロッパでスタートアップをするには、資金が膨大にかかることが分かって、現実的には難しいと感じました。
そこで、縁があって滞在していたバンコクに目を向けました。当時バンコクでも和牛が受け入れられる手応えがあったんです。弟に「一緒に店を構えないか」と相談しました。ちょうどコロナのタイミングで弟もフランスで独立を考えていたんですが、タイミング的にバンコクで一緒にやるのが現実的だと話がまとまったんです。
色々と歯車が噛み合ってバンコクの地で和牛ビジネスを始めました。
◆ご兄弟でのビジネス、ロマンがあります。お二人でお店を開こうとなった経緯について詳しく伺いたいです。
基弘氏:私はずっと弟と店をやりたかったんですが、実は昔一度弟に断られたことがあるんです(笑)。最初に弟に「一緒に店をやらないか」と誘ったのは、私がまだ日本で飲食業をしていた頃でした。弟もその頃からニューヨークやフランスで料理人として腕を磨いていたんですが、当時の弟に「まだそのタイミングではない」と言って断られました。弟は本当に料理に情熱を持っていて、妥協を許さない性格なんです。だから、その時は一緒にやるという話は流れてしまいました。
それからだいぶ月日は流れ、転機はコロナの時期でした。コロナをきっかけに弟がフランスで独立を考え始めたのです。
◆コロナは飲食業界に大打撃を与えたイメージなのですが、そのタイミングで独立を考えられたのですか?
祥広氏:料理人って独立するのがとても大変なんですよ。まず資金の問題や、物件の選定などがあって、計画を練って会計士と打ち合わせして銀行と交渉して…とにかく時間がかかるんです。コロナの時期に時間が取れるようになって、独立の準備ができるようになりました。周りの料理人も皆そうでしたよ。
コロナの時期に時間を得たおかげで、独立のステップが大きく縮まりました。いつか独立したいと思っていたのが、一気に現実のものとなったという感じですね。
基弘氏:そんな時に私が「バンコクでやろう」って再び誘ったんです。バンコクなら、まだスタートアップとして現実的に始められる環境があったし、私もバンコクで和牛のビジネスが成り立つという手応えを感じていました。弟もその時には少し考え方が変わっていて、「じゃあバンコクでやってみるか」って話がまとまったんです。
それぞれがキャリアを積んでからまた道が交差するとは思っていませんでした。
◆ご兄弟揃ってグローバルな経験を積まれてきたのですね。そのチャレンジ精神はどこからくるのでしょうか。
基弘氏:兄弟揃って海外でチャレンジしてきた背景には、やっぱり自由な発想を大事にする家族の影響が大きいですね。祖父、父ともに寿司職人で飲食家系でした。
特に父は『若いうちは外の世界を見て、自分の可能性を広げるべきだ』という考えを持っていて、私たちにもそれを常に言っていました。私が16歳の時には、「旅に出ろ」と言われて、パックツアーじゃなくて自分で計画して国内を旅したりもしました。そういった経験が、自分たちの世界観を広げる大きなきっかけになったと思います。
さらに、父が面白いことをしてくれて、私が18歳の時に「お前たち兄弟に1,000万円ずつやる。ただし、それ以降の学費や結婚式の費用はサポートしないから、自分で好きに使え」と言われたんです。その1,000万円をどう使うかは本当に私たちの自由で、私はそのお金を使って海外留学を決めました。弟も、大学では遊んでいたんですが、その後しっかりと日本の料亭で修行を始めました。
祥広氏:結局2人とも大学進学を選択したので、父のいう『自由』ではなかったかもしれません。
基弘氏:弟は料理に対する情熱が強くて、ヨーロッパで料理の腕を磨き続けていました。私もアメリカで学びながら、自分の可能性を試してきました。私たち兄弟に共通しているのは、やっぱり枠にとらわれずに、広い世界で自分の力を試してみたいという探究心なんだと思います。いつか一緒に何かを成し遂げたいという夢も、ずっと心の中にあって、最終的にバンコクでそれが形になったという感じですね。
◆ビジネスでのご兄弟の役割分担を教えてください。
基弘氏:基本的には、私が全体的な経営やビジネスの戦略、仕入れや財務面の管理を担当しています。弟は料理人としてのキャリアが長いので、キッチンやメニュー開発、料理のクオリティの管理を主に担当しています。
私たちの強みは、それぞれが得意な分野で役割を果たせることですね。弟は料理の技術や味へのこだわりが非常に強く、お店の味の基盤をしっかり作ってくれています。一方で、私は経営面での経験を活かして、どうやってお店を運営していくか、どうやってお客様に満足していただくかを常に考えています。
お互いにリスペクトし合っているので、それぞれの役割をしっかり果たせるし、バランスが取れているんじゃないかなと思います。
◆バンコクでビジネスするにあたって苦労した点は?
基弘氏:まず一番大きかったのは、タイ独自の文化や商習慣への適応ですね。日本とタイでは、仕事に対する価値観や働き方が全く違います。例えば、タイでは家族やプライベートが非常に重視されていて、スタッフが仕事中に突然『今日は家族と過ごしたい』と言って帰ることもあるんです。日本だと考えられないことですが、タイでは当たり前のことなので、そうした価値観の違いに最初は戸惑いました。
味の調整も一つの課題でした。弟が長くフランスやニューヨークで料理をしていたこともあって、最初は味付けが濃くなりがちだったんです。でも、タイの人たちは塩味に敏感で、少し薄めの味付けが好まれる傾向があるんですよ。そのため、現地の味覚に合わせるために、弟が塩加減を調整するのに苦労していました。
◆スタッフの教育について意識しているところがあれば教えてください。
基弘氏:タイ人スタッフの教育について、特に意識していることはモチベーションの持たせ方と将来に向けたスキルアップの需要性を伝えることです。
タイでは家族やプライベートが非常に大事にされていて、仕事が生活の中心ではないという価値観が一般的です。日本のような『仕事第一』という考え方をそのまま押し付けても、それは我々のエゴになってしまう。
だから、私たちが意識しているのは、スタッフにとってやりがいや目標を持たせることです。単に時間を売ってお金を稼ぐのではなく、日々の業務を通して自分が成長していると感じられるような環境を作ることが大切だと思っています。
◆鈴木ご兄弟のもとで働かれたスタッフの方はどのように成長されるのでしょうか。
基弘氏:うちで働く中でスタッフが成長することは、本当に嬉しく思っています。
一例として独立したミャンマー人のスタッフがいます。彼はうちで長年働いてくれて、肉の扱い方やサービスの仕方を一から学びました。彼はもともと飲食業の経験がなく、サムイ島でホテルのドアマンをしていたんですが、初めての飲食業の世界でも、とても頑張ってくれました。最初は全くの素人でしたが、ものすごい向上心があって、数ヶ月で驚くほど成長しました。今では、義理の兄と一緒にネパール料理のお店を開いていて、私たちも彼の独立を心から応援しています。
他にも、今うちで働いているスタッフの中には、他店にいつ引き抜かれてもおかしくないレベルの人がいます。特に、肉の部位の名前を覚えたり、和牛の切り方を習得するのは難しいんですが、それをきちんとマスターしているスタッフが何人もいます。
◆最後に、これからタイでビジネスを始めたいと考えている人に向けてアドバイスをお願いします。
基弘・祥広両氏:まず日本とタイの文化の違いをしっかり理解し、リスペクトする姿勢が大切だということをお伝えしたいです。日本で成功していたからといって、そのままの感覚でタイでもうまくいくとは限りません。タイにはタイ独自の価値観や商習慣があり、それを尊重しないとビジネスを続けるのは難しいと思います。
また、日本人だからといって特別扱いされるわけではないということも知っておくべきです。もうバルブ期でもなんでもないですからね。
にく処鈴㐂(すずき)の紹介記事はこちら。
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バンコクで働く方
にく処鈴㐂(すずき):鈴木基弘さん・祥広さんご兄弟
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エリア名
プロンポン
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住所
682/5 Sukhumvit Rd, Khwaeng Khlong Tan, Khet Khlong Toei, Bangkok 10110
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いつからタイで働いていますか
基弘さん2018年ー, 祥広さん2022年ー
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サービス内容
和牛ビジネスの展開に留まらず、飲食業界全体においてもその専門知識を活かし、他の飲食店へのプロデュースやコンサルティングサービスを提供。メニュー開発、店舗設計、スタッフ育成、経営戦略に至るまで、飲食店の成功を支援するトータルソリューションの提案も行う。
味へのこだわりと現地文化への深い理解を基に、各国の顧客に受け入れられるプロデュースは流石の手腕。また、日本で培った和牛の知識を中心に、質の高いサービスを提供し続けています。
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お仕事の依頼先